2006年10月12日 (木)

はじめに

 私はこのブログで、人の思考の方法と、その際に陥りやすい勘違いについて、なるべくわかりやすく書いていきたいと思います。
 人はいろいろな観念を使って、考えたり、自分の意見を述べたり、議論したりしています。しかしその論理に、様々な勘違い・混同があるために、もどかしい思いをしてしてしまうことが多いのです。たくさんの書物を読み、経験を積んでも、思考のやり方を間違えてしまうと、「偉大な勘違い」をしてしまう恐れがあります。そのために、まず人間が思考する方法について、しっかり見直しておく必要があるかな、と思っています。
 人間の思考は、精巧に出来ている一方で、あまりに自動的に働きすぎるので、思考の原理を忘れ、どちらが原因でどちらが結果なのかさえわからなくなっていることがあります。ひっくり返った議論は永遠に結論が出ません。原理を把握することで、無駄な議論、結論のない問いに悩み続けることなく、現実社会で生きていけると思います。
 偉大な人の人生訓や説教よりも、単に原理を知ることが癒しになることだってあると思います。なぁんだ、結局そういうことだったんだ、というふうに。

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主な内容

 私たちがさまざまな議論をする際に使う概念の多くが、きっちりと検証されているわけではありません。そのために、論理的に矛盾した問いかけを発し、矛盾した問いかけのために答えが見つからず、延々と議論だけ行われるということもよくあります。何気なく使っている概念について再検討してみると、いろいろ新しいことがわかってくると思います。
 このブログでは主に下の事柄について検証していきます。

意味とは?
・・・「意味」という言葉は人間が頭で考えだした概念にしかすぎません。「意味」というものがどういうときに発生するのか、言い換えれば、人は、どういう状況のときに、何を「意味」と呼んでいるのか、明らかにします。そして、その上で、「存在の意味とは何か」あるいは「生きる意味とは何か」という問いかけの論理的問題点について検証します。

自我・欲望・感情について
・・・人間の感情・欲望の作用について、それらがもたらす自我の意識について説明し、人が選択し行動する際の思考の働きについて検証します。道徳というものと人間の感情との関係についても考えます。ここでは、私という意識が浮かんでくる仕組みの解明まではできませんが、どういったときに私という意識が出てくるのか、ということまでなら説明可能だと思います。

わかる・理解するということ
・・・法則、ランダム、偶然といった概念の限界、および人が「わかる」と思う思考の仕組みを理解した上で、この世界から人間が論理を抽出し「わかった」と納得するプロセスについて考えます。科学の方法についての検証につながる内容だと思います。

誤解のない議論のために
・・・さまざまな場所で概念の使い方を間違えたばかりに、論理が飛躍している主張、答えの出せない議論などがなされていることがあります。それらについて、どこに誤解があるのか、どういう論理であればきちんと議論をかみ合わせることができるのか、そういったことについて考えます。

(2006年11月29日修正)

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