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2008年11月27日 (木)

「理念」「思想」は原理ではない

このブログ第三章の結論になってしまいますが、

究極的には、道徳というものは、人間の持つ感情、共感能力(そしてそれを支える想像力)によって支えられています。

道徳の根拠として理念をあげる人も多いですが、それはその理念自体が人の感情・欲求(世界にこうなってほしい、こんな世界に住みたいと思うこと)によって支えられていることに気付いていない人たちです。

ある理念が、多くの人々によって支持されている場合、それは似たような欲求、願望を持っている人が多い、ということとほぼ同義なのです。(マスコミ操作などで扇動されてなんとなく支持ということもありうるかもしれませんが)

「理念」とは仮のものです。人間の欲望の別の表現なのです。
それは「思想」についても同じことですね。

つまり、Xという人・団体が、Aという「理念」「思想」があるから、あなたも従わなければならない、と言っていたとしたら、それは一種の詭弁でもあります。
要するに、Xという人がAという理念・思想に基づいた社会、というものに共感してほしい、一緒に同じように考え、行動してほしい、と欲して(願って)いるということなのです。

つまり、自分の欲求・欲望・感情に共感してほしい、同じように感じて行動してほしい、という願いを他の人に求めているわけです。

それがいつの間にか「理念」「思想」が独り歩きし、それ自体が一般的原理でもあるかのように感じられてしまうこともあります。そうなると少し怖い気がしますね。

共感能力、人の気持ちについて考える能力は皆が同じ程度に持っているわけではありません。人の気持ちについて考えることができない(あるいは考えようとしない)人たちが、理念・思想を振りかざし、社会を動かすようになると、怖い世界が待っているような気がします。

繰り返しますが、「理念」「思想」は仮のものにしかすぎません。原理ではないということです。

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2008年11月24日 (月)

生命がよく出来ているのか出来ていないのかなんて判断は人が勝手にしていること

最近は、仕事の方が忙しくてこちらのブログの方になかなか集中できないのですが・・・

まとまりのない文章でも、「日々雑感」のカテゴリーで書いてみたいなと思います。

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地球の生態系は、すごく上手く出来ているといわれますが、それは、単に見る人の感じ方次第でしょう。

たくさんの生物が生まれ、死んで行く。

小さな生き物が大きな生き物に食べられ、大きな生き物の生命を支えている。

それにしても、この地球は壮大な生命の浪費によって支えられていますね。

見方によっては非常に残酷なシステムです。

人は、生きていきたいのに死んでしまうように出来ています。

だけど永遠に生きたいか・・・?と問われれば、それも恐ろしくなりますね。

牛も豚も鶏もかわいいですが、肉になればおいしいですね。

バランスなんて、たまたまとれているだけです。

たまたま、という言葉自体にも検討は必要なのですが)

それぞれの生命が、環境に「最も適した」ように出来ているかどうか、というのも、人の見方次第で、本来、そんなことは決めようがありません。

脳の動きに、人の体がついていけてないのではないか?

脳と体のアンバランスがあるのではないか?

脳が欲していることが、体が欲していることと合致してないのではないか?

このブログでもとりあげているように、脳があまりに自動的に動きすぎるために、人の思考がしばられてしまい、論理的に間違った問いに悩まされてしまったり、いろいろとうまくいかないこともあります。

・・・ただ、こういった無秩序の中で、なんとか日々生きていけていることに、幸せを感じたりもしています。

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