「理念」「思想」は原理ではない
このブログ第三章の結論になってしまいますが、
究極的には、道徳というものは、人間の持つ感情、共感能力(そしてそれを支える想像力)によって支えられています。
道徳の根拠として理念をあげる人も多いですが、それはその理念自体が人の感情・欲求(世界にこうなってほしい、こんな世界に住みたいと思うこと)によって支えられていることに気付いていない人たちです。
ある理念が、多くの人々によって支持されている場合、それは似たような欲求、願望を持っている人が多い、ということとほぼ同義なのです。(マスコミ操作などで扇動されてなんとなく支持ということもありうるかもしれませんが)
「理念」とは仮のものです。人間の欲望の別の表現なのです。
それは「思想」についても同じことですね。
つまり、Xという人・団体が、Aという「理念」「思想」があるから、あなたも従わなければならない、と言っていたとしたら、それは一種の詭弁でもあります。
要するに、Xという人がAという理念・思想に基づいた社会、というものに共感してほしい、一緒に同じように考え、行動してほしい、と欲して(願って)いるということなのです。
つまり、自分の欲求・欲望・感情に共感してほしい、同じように感じて行動してほしい、という願いを他の人に求めているわけです。
それがいつの間にか「理念」「思想」が独り歩きし、それ自体が一般的原理でもあるかのように感じられてしまうこともあります。そうなると少し怖い気がしますね。
共感能力、人の気持ちについて考える能力は皆が同じ程度に持っているわけではありません。人の気持ちについて考えることができない(あるいは考えようとしない)人たちが、理念・思想を振りかざし、社会を動かすようになると、怖い世界が待っているような気がします。
繰り返しますが、「理念」「思想」は仮のものにしかすぎません。原理ではないということです。
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