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2009年1月14日 (水)

哲学とは・・・?

「哲学」という言葉は、だいたい二通りに使われているような気がします。

(1)まずは、「思想」「生きるための指針」といった意味合いの「哲学」です。「人生哲学」などという形でよく用いられます。
一般的に、「哲学」という言葉を聞くとこの意味の方を考えることが多いと思います。

これは、突き詰めれば「欲望」「願望」のことです。私はこのように生きたい、皆さんにこのように生きてもらいたい、行動してもらいたい、といった願望、希望のことです。

この「哲学」に対しては、正しい・間違いといった判断はできません。あくまで支持するかしないかは、共感する・共感しないといった感情の問題となります。

あちこちで見られる「存在の意味」というのも、実はこの「哲学」の範疇に含まれます。これは「意味」というものが、人間の欲望に対応した人やその他の生物、モノの持つ「機能」を意味するものだからです。意味は人間の欲望の反映です。

言い換えれば、たとえば「人はこう生きるべきだ」「人が社会あるいはこの地球の中で無意味であってほしくない、何らかの意味(=機能)を持つ存在であってほしい」という願望、希望を示しているわけです。

(2)もう一つの「哲学」とは、人間の思考を支える論理について考えることです。まさにこのブログでやっていることです。

たとえば1+1=2という数式を支える論理です。科学の思考を成立させている人間の思考の論理について検証することも含まれます。

人が「生きる意味」と考える際に、「人はこう生きるべきだ」と考える論理ではありません。人が、存在というものに「意味」をつけたがっている、その思考論理について検証するのが(2)の哲学です。人は、どういうときに何を「意味」と呼んでいるのか、ということについて考えることです。

上の(1)と(2)の哲学を混同させていると、わかるものもわからなくなってしまいます。あるいは論理の飛躍によってある人の欲求・願望があたかも法則や一般的原理のように考えられてしまう恐れがあるような気がします。

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2009年1月 9日 (金)

考えていること・・・

最近、考えていることなのですが・・・

1.人間・生物の行動すべてを機能的に説明しようとするやり方への違和感

 生物の行動すべてを、何らかの目的に対応した機能として説明しようとするやり方に対する違和感です。生物学ではとくにそのような傾向が強いような気がします。
 このあたりを、上手く説明できないかなと思っています。

 様々な環境の中で、様々な行為をしながら、絶妙なバランスの中で、結果として私たち生物は生き残っています。
 結果として生き残っているのだから、そこからたどれば、当然一つ一つの行為が「生き残る」という結果を説明する変数の一つにはなりえます。しかし、それは結果が出ているから言えるわけで、結局、後付けの説明でしかありません。結果として生き残っていれば、その生物がしているあらゆる行為が、生き残るという目的に対応した行為と説明可能になってしまうのではないか・・・

 ・・・う~ん、このあたりのニュアンスを共有してくれる人がいれば良いのですが・・・
 とにかく、上手く説明できるように考えてみようと思います。

2.私たちの思考は、かなり脳にダマされているのではないか・・・

 脳があまりにも自動的に働きすぎるため、便利である一方で、いろいろなことがかえって見えなくなっている、あるいは勘違いをおかしてしまっている気がします。それらを一つ一つ検証してみたいです。

 これはあくまで想像にしかすぎませんが、人の意識というのは、行為・感覚の記憶が一つ一つ積み重なり、数えきれなくなっていく過程で、次第に感じられるようになってくるもののような気がします。
 私たち人間一人一人が、それぞれ持っている「自分」という感覚は、あくまで一つの錯覚、というかそれも脳にダマされているだけのような気がしているのです。
 まだ確証はないですが、これについては、暇なときに遊び半分で考えていこうと思います。別に解決したからといって幸せになるとかいう類の問題でもないので・・・

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