『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』(その2)
『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』(マックス・ヴェーバー著、富永祐治・立野保男訳、折原浩補訳、岩波書店)の後半部分を久し振りに読んでみました。
次の二点について感じたことを書いてみます。
1.「法則」と「因果関係」との違いとは?
マックス・ヴェーバーのこの著書においても、その違いについて明確に述べられているわけではありません。
ただ、文脈から見て、
法則・・・(実在から抽出され)さらに法則から実在が演繹できるような理論
因果関係・・・一度きりの出来事
という意味合いで書き分けられているように思われます。しかし、この世界の因果関係が、上のように二分できるようには思えません。
それについては、このブログの法則とは何か?という記事でも述べています(下の図でも少し触れています)。法則と因果関係との違いはあくまで相対的なものです。ヴェーバーの著書の中ではその違いはあまり意識されていないように感じます。
2.常に理念型が必要とは限らないのでは?
分析対象といっても、思考の中で完成された一種のユートピア社会(?)としての理念型を適用するような社会組織から、その社会組織の一要素まで、その範囲は様々であると考えられます。
図(左の画像です)にも示してありますが、社会(実存世界)の小さな構成要素が分析の対象となる場合、分析者の視点による概念形成の差異がより少なくなると思われます。
自然科学と社会科学との違いについても、実は、上の図に示されているような相対的なものでしかありません。
たとえば、ある分子と分子との反応によって、別の分子ができる、という因果関係は、その反応にかかわる要素が限られたものであるため、分析者の視点による違いが出にくいと思われます(図1)。
一方、ある社会組織と社会組織との関係、あるいは、ひとつの社会形態が、ある要因によって別の社会形態に変化する、といった分析の場合、分析対象となる社会が、様々な要素を含んでいるものであり、分析者の視点によって、その社会の定義、範囲その他、様々に変化する可能性があります(図2)。
図1と図2の分析は、明確に二分できるものではなく、あくまで程度の問題であると考えられます。
私が大学にいた頃は、社会科学は自然科学とは質的に違うんだ、としばしば教えられたものです。確かに、実際の分析手順に関しては違いがあるのですが、その違いとは、実はあくまで相対的なものでしかない、程度の違いでしかない、ということです。
また逆に、たとえば
2H2 + O2 → 2H2O
という化学式や、他の数式モデルを、「理念型」と呼ぶことも可能かもしれません。モデル仮説(=理念型)を思考の中で作りあげ、現実(実存世界)と照らし合わせ検証しているわけです。
(※『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』、その1の記事はこちらです。)
※ 追記(2009年5月24日)
理念型とは、ヴェーバーの定義ではあくまで人間の動機・意志を起点にした「動機→手段・行為→結果」のモデルであるため、本当は単なる化学式などを理念型と呼ぶのは正しくないようです。
「理念型とは?」の記事はこちらをご覧ください。
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